同居の始まりは、全員がしんどい

猫の額ほどの小さな家でノートPCに向かう女性のイラスト。散らかった生活感のあるリビングの中で、書くことで気持ちを整えている場面
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6人で暮らし始めました。

幼稚園に上がる上の子、2歳の双子、夫、私、そして実母。猫の額ほどの家に、3世代が詰まっています。

同居の始まりは、全員がしんどい

最初に書いておきたいのは、同居の序盤は、誰にとってもしんどいものだということです。

生活リズムも違う、音の許容範囲も違う、片付けの基準も違う。それぞれが「自分なりに気を遣っている」のに、その気遣いが相手に届かない。

しんどいのは、私だけではありません。母も、夫も、きっと子どもたちだって、環境の変化のなかで必死に適応しようとしています。

その前提を踏まえたうえで、今日は私自身の率直な気持ちを書いてみます。

今日は、シェアラウンジから書いています

同居に踏み切ったのは、私たち自身の意思でした。

にもかかわらず、今日はシェアラウンジの有料席にわざわざ移動して、ここで仕事をしています。

「家で仕事ができない」のではありません。
少しだけ、一人の時間が必要だったのです。

母もまた、余裕がないのだと思う

ここ数週間、母からこんな言葉を聞く場面が増えています。

あなたには悩みがないってことなのね

私が望んだ同居ではない

私ばかりが気を遣っている

私のせいにされるのは嫌

私が弁当作りが嫌だから弁当を注文するっていうの?私のせいでお金がかかる弁当を注文するって言うの!?

こう書くと母が一方的に不満をぶつけているように見えるかもしれませんが、そうではないと思っています。

母もまた、慣れない環境のなかで居場所を探しているのだと思います。自分の役割が見えなくて、不安で、それが言葉になって溢れ出しているのかもしれません。

ただ正直にいえば、幼稚園入園の準備、双子の保育園の手続き、庭の整備、引っ越しの残作業、自営業の仕事——これらを同時に抱えながら、毎日受け止めるには、私自身の容量が足りていないのも事実です。

「搾取されるギバー」という見立てで、少し楽になった

最近、ひとつ腑に落ちた見立てがあります。

母は「搾取されるタイプのギバー」なのではないか、ということ。

惜しみなく与える人。その性質自体は、本当にありがたいことです。でも、与えた分の「ありがとう」が十分に返ってこないと、知らず知らずのうちに疲れが溜まっていく。

この構造が見えたとき、母の言葉を「攻撃」ではなく「SOSのサイン」として受け取れるようになりました。まだ毎回うまくはいきませんが、少しだけ。

「子ども扱い」と「境界線」のこと

もう一つ、同居で感じていることがあります。

親は、子がいくつになっても「子ども」として接してしまいがちだということ。これは母に限った話ではなく、おそらく多くの親子関係に共通する構造です。

善意で部屋のことに口を出してくれる。時間の使い方を心配してくれる。ありがたいのだけれど、家賃を払って独立した世帯として暮らしている以上、お互いの領域を尊重する線引きは必要だと感じています。

口で伝えても、数日経つとリセットされることもあります。でもこれは、長年の関係性のパターンだから仕方がない。何度でも穏やかに伝え直すしかないのだと思っています。

ちなみにこの線引きの話は、私のメンターさんとのセッションでも何度か出てきていて、私の人生の要となるキーワードのようなんです。チャッピー(chatGPT)に相談するときも出てくる。「土足で踏み込んでくる」という形でね。セッションについても今後書かせてもらおうと思っています。

「書く」ことで、私は整えている

正直にいえば、今、しんどいです。

でも、このしんどさをXとこのブログに書くことで、かろうじて自分を整えられています。

  • 書くことで、感情がいちど体の外に出る
  • 出たものを文字として眺めると、距離がとれる
  • 毎日の出来事が、ただの消耗ではなく記録になる

「これは母の問題ではなく、同居という環境がまだ整っていないだけだ」と、少しずつ分けて考えられるようになってきました。

猫の額の家は、「ふたりで、どう生きるか」の実践編

6人で暮らす。この選択は、私にとって夫婦となった夫と「ふたりで、どう生きるか」という問いの延長線上にあります。

家族のかたちを自分で設計するという、私がずっと考えてきたテーマの、もっとも生々しい実践編です。

今日もまた、シェアラウンジを出たら家に帰ります。帰ってからのことは、またここに書きます。


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